今回は一時期話題になった漫画【私が見た未来】の予言の内容に付いてネタバレ紹介致します。
一時期はプレミア価格で、50万円近くまで高騰したと言われる、幻の予言漫画に書かれた大災害とはいったいなんなのか?
果たして我々は生き残ることができるのでしょうか?
それでは【私が見た未来 】予言の内容をネタバレ紹介!2025年7月に起こる大災害をネタバレ紹介していきます。
※この記事は地震や津波に関する内容を取り扱っています。
【私が見た未来 】とは?
すでに引退済みの漫画家が描いた作品が、その後に起こる大災害を予知していたという話を聞いたことはないでしょうか?
【私が見た未来】という作品は、漫画家のたつき諒先生が描いた作品で、本の表紙に「大災害は2011年3月」と記載したことで、東日本大震災を予言していた漫画だと話題になりました。
【私が見た未来 】の発売は1999年7月で、東日本大震災の12年前から予言していたのには驚きですが、【私が見た未来 】完全版ではさらに恐ろしい大災害が起こると予言されています。
たつき諒先生はネットやSNSなどに疎く、すでに引退済みな自分の作品が、ここまで世間を騒がせていると知らなかったようで、たつき諒先生のなりすましが登場したことをきっかけに、『私が見た未来 完全版』として、表紙の「大災害は2011年3月」という言葉の意味などについて詳しく解説されています。
作品情報
- 作品名:私が見た未来 完全版
- 作者:たつき諒
- 出版社:飛鳥新社
- 価格:1,200円
ネットで初版の価格を調べると一時期プレミア価格になっており、50万円もの値段が付いていたこともありました…
【私が見た未来 】の予言の内容とは?
最初にたつき諒先生がどのような方法で予言を得たのかについて説明いたします。
予言は予知夢から得ていた
私が見た未来の作者であるたつき諒先生が自身が見た夢を記録した夢日記を1976年から書いていて、夢日記を漫画のネタにしていたようです。
たつき諒先生は自分自身が予知夢を見ることは何もおかしなことではなく、覚えていないだけでみんな見ていると考えています。
すべての夢が予知夢ではなく、現実の延長や体調などによって夢の内容は変化するだろうとも語られていて、たつき諒先生地震には霊感のようなものはないと発言されていました。
また夢は未来の様子を直接見た景色ではなく、象徴夢というもので、予知の内容を別の共通するイメージで見ることが多いそうです。
予言の内容
ここからは作中で語られている予言についてまとめています。
女性の予知
作者のたつき諒先生が何度も見る夢がありました。
夢には海に隣接している洞窟のようですが人工的な場所で女性が立っている夢です。
ある日、気分転換に散歩をしていた時に、夢とまったく同じ場所を発見しました。
その翌週、たつき諒先生が夢で何度も見て、自裁に訪れた場所で女性の遺体が見つかり、着ていた服などから夢日記と酷似したものだとわかり、驚いたということです。
QUEENのフレディ・マーキュリーの死去
友人のYさんとテレビを見ていたたつき諒先生は、QUEENのフレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースを目にしました。
QUEENの大ファンであるYさんはその場で悲しさから号泣し、友人を慰めるところで目が覚めます。
この夢は1976年11月28日に見ていて、1991年11月28日にニュースでフレディ・マーキュリーの訃報を見たと描かれていました。
夢で見た景色
それはある日、仕事の締め切りに追われていた夜のことです。
親族の訃報を受けて、夜明けに急遽親族の家に向かうことになり、葬儀を終えました。
亡くなった親族の家へ向かう途中に、夢で見た景色に出会します。
写真に撮って夢日記のページに貼っておいたそうです。
たまたま遊びに来ていた友人の発見で分かったのですが、今回も夢を見た日付と写真を撮った日付が一致していたとわかりました。
友人の別れ
ある日の夢はいつもと変わっていたようで、ある男性に「彼女のことは好きだけど、恋愛感情は持てない」と言われ、その男性に面識がなかったたつき諒先生は、疑問を残したままその夢を記録していたようです。
その翌月、長く会っていなかった友人のMさんからの電話で、恋人から恋愛感情を持てないからと別れてしまったと連絡がありました。
Mさんに夢の話をしたところ、後日別れた恋人の写真を見せてきれたそうですが、その顔は夢に出てきた男性と同じ顔だっったそうです。
ダイアナ妃の訃報
こちらは表紙に描かれていた6枚の予言のうちの1枚に描かれていました。
夢を見た日は1992年8月31日、ダイアナ妃が亡くなったのが1997年8月31日と、また日付がリンクしています。
富士山噴火
こちらの夢はなりすました人物も語っていた予言になるようですが、その真相は大きく違いました。
たつき諒先生は富士山噴火の夢を1991年8月20日、2002年5月27日、2005年6月11日の3回とも記録されています。
この夢は象徴夢だったと言われていて、夢診断では「世界恐慌やパンデミックなどでパニックになる」という結果が出たようです。
そう言われてみると、あの世界中を襲った病魔の脅威を想起させますね。
荒れ果てひび割れた大地
1995年1月2日に見た夢で、赤い大地に大きなヒビが入っている夢で、空から天上人(女性)が現れてたつき諒先生は連れて行ってとお願いします。
しかし女性はあと5年経ったら迎えに来ると言いますが、それはどうやらたつき諒先生の役目が終わり日を指しているようです。
【私が見た未来】2025年7月に起こる大災害とは?
まず最初に表紙に「大災害は2011年3月」と描かれていた理由については、原稿締め切りの最終日に夢で見たことから書き足した内容だと語られています。
【私が見た未来】の中では津波の夢が描かれていて、実はその夢は東日本大震災を指しているものではないそうです。
ここからは2025年7月にやってくる大災害に付いてお伝えします。
津波の夢
作品の中では1981年に見た夢とされています。
たつき諒先生によると夢の中の季節は夏服を着る季節だったようで、その年は少し大きめの地震があった年と書かれています。
海が干上がったと錯覚するほどの引き潮の後、大きな津波と人々の叫び声が聞こえていたそうです。
さらにたつき諒先生はインドに行った際に新たな夢を見たと、新しい夢日記を追加しています。
日付は2021年7月5日 4時18分に日本の南側、台湾近くの太平洋の海、フィリピン海沖がボコンと盛り上がるという映像を見たようです。
隕石の衝突なのか海底火山の噴火なのかは作中では語られていませんでしたが、水が盛り上がる様子を噴火と表現していて、東日本大震災の3倍(45m以上)の大きな波が押し寄せると語られています。
さらに台湾と香港、フィリピンは地続きになるような感じに見えたとも書かれていました。
大災害の後は…
【私が見た未来】では大災害の後の世界についても描かれていて、2001年1月1日に世界中の人々が活き活きと、輝いて生活している様子が見えたようです。
雨降って地固まるという言葉がありますが、大災害があっても未来は明るいというのは、希望が持てますね。
また大災害に重なって「大災難」という字も見えたと書かれていて、もしかすると2025年7月に起こることは人為的なものなのかもしれません。
作品の中では信じるか信じないかは、受け取る私たちに委ねるようなことが書かれていますが、「大切なのは準備すること」や「あなたが生き残ること」と言われています。
最近では大きな地震もあり、日頃から地震や災害に対して備えるというのは、自分自身が生き残る上で必要なことだと思います。
この記事のまとめ
以上、【私が見た未来 】予言の内容をネタバレ紹介!2025年7月に起こる大災害とは?という記事でした。
今回の記事をまとめると以下になります。
- たつき諒先生は夢日記をつけている
- 夢日記の内容が現実に起こる
- 作品表紙の大災害と今回の災害は別
- 2025年7月5日に大津波の可能性
- 信じるか信じないかはアナタ
- 大災害の後は輝く未来が来る
大災害自体はいつか起こる日が来るということで、私の場合には家族分の備蓄等は普段から準備していますが、幸いにも大きな災害に被災したことはありません。
今後、日本は南海トラフをはじめ未曾有の大災害が来ると言われていますが、自分の身を守るために、できることから始めてみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
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